「言っても理解されない」「理解されたとて改善されない」あなたの目の前に問題のある人あるいは組織があったとしましょう。その問題の改善を期待して苦言を呈したくなること、あると思います。しかしそのとき、苦言を呈したところで改善される未来が予測できないこと、よくあるのではないでしょうか。そんなときは黙っておきましょうよというお話。
なんのために苦言を呈するのか
多くの人は問題点の改善を期待していることでしょう。上司や同僚と仕事をしていく上での動き方かもしれません。友人と一緒に食事をするときのマナーかもしれません。SNSでの行き過ぎた発言を諫めることもあるでしょう。
しかしですね。今目の前に相対している相手をよく見た結果、何を言ったところで改善されないだろうな?と思ってしまうこと、よくあるのではないでしょうか。前回の記事にも書いた通り、他人の動きは期待するものではなくて想定するものですからね。
そうしたときにあなたは何を目的に苦言を呈するのでしょうか?何を言ったところで改善を期待できないとわかっているというのに。
そう、溜飲を下げることが目的にすり替わります。
溜飲を下げることに価値があるのか
これはあなたの置かれている状況と相手との関係によるところが大きいでしょう。
気兼ねなくものを言い合える友人が相手であって、その後の人間関係に影響がないのであれば遠慮せず言えばいいでしょう。逆に抱え込んでわだかまりになる方が良くないこともあるでしょう。あなたの目の前にいる人間があなたにとってさほど価値の無い人間であっても同様です。
溜飲を下げてスッキリ縁を切るほうが大きなメリットになるでしょう。
ビジネスの場合はどうでしょうか。これは黙っていたほうが良いでしょう。今後の仕事に良くない影響を及ぼすからという直感的な理由もなくはないと思いますが、そもそも仕事上の人間関係というものはろくでもないもので、敵意・殺意を抱かずにはいられない上司・同僚・顧客で溢れています。
言いたいことを言って溜飲を下げるというアプローチではキリがありません。
加えて、苦言を呈したい相手の能力が純粋に足りていないケースもあります。能力が低い、パフォーマンスが低い事をもって強く叱られる、ましてや罵倒されるようなことが起こる世の中、私は間違っていると思いますし、ましてや自身でその元凶となってしまうようなことは避けたい。
改善を期待しているわけでもないのに自己満足のために傲岸不遜な態度を取るなど許せません。
自身の人間としての価値を貶めてまで溜飲を下げたいというのはいかがなものかと。
仕事では人や組織を変えることにこだわってはいけない
仕事をしていく上では自発的な成長を除いて、勝手に人や組織が良くなっていくことを求めること自体が傲慢だと思うんですよね。
あなたの隣にいる同僚のパフォーマンスが悪かったとするならそれはあなたには関係のない話だし、同僚のパフォーマンスが悪いことを理由にチームの責任にされて待遇に不満が出るようなら不満のない職場に行くべきでしょう。
あなたがチームのパフォーマンスに責任を持つポジションだったならば、あるべきチームの姿を示し、更にそこに至るまでのプロセスを示してなおメンバーの能力が足りないことであるべき姿に至らないのであれば、あなたの指針のもとにパフォーマンスが出せるチームメンバーがいる職場に行けばいいでしょう。
自身が動くことができないのであれば自身もその程度の力量だとして諦めるべきでしょう。
おわりに
仕事してると色々言いたくなることもあるんです。でもその言いたくなること、ほんとに言って意味あるんですかね?と自問自答している日々です。
大体何も言わなくて良いという結論になることが多いです。
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