組織の構造や業務のプロセスに問題があって、それを改善しようと試みることはよくあることだと思います。自分も例に漏れずそのような課題に取り組むことがあるのですが。その手の課題に向き合うとよく思うことがあります。
改善が望まれているという誤り
所謂普通の一般企業のお話をしますけれど。
およそサラリーマンという働き方の人間が集まっている集団において、各個人がチームやプロジェクト、あるいは所属企業の成長を強く望んでいるかと言われればそんなことはレアなケースだと思っています。
我々は生活のために仕方なく働いている。
これが一般的な感覚ではないでしょうか。もちろん経営者や部門長の方針で各個人のパフォーマンスが適切に評価されてモチベーションが維持されていたり、自分たちの作り出すサービスやプロダクトに愛着やプライドを持てたりするような職場もあることでしょう。
しかしながら各個人のパフォーマンスに対する考え方が組織と完全にマッチしていたり、あるいは全員が納得してサービスやプロダクトを生み出しているなどということは自然に考えればなかなか難しいところでしょう。
特にこの日本という国では。
従って、業務の生産性を向上させよう、サービスやプロダクトの品質を向上させようという試みに対して、自分たちがなにか努力や試行錯誤を重ねなければならないといった場合、前向きに取り組めないのは珍しいことではないでしょう。
人は成長するという認識の誤り
企業組織において語られる成長というもの、ベクトルの違う二種類を考えてみます。
- 実績のある手法を理解・実践できるようになること
- 新しい手法を考案あるいは実績のない手法を理解・実践できるようになること
そこそこ多くのケースで前者を成長と捉えられていることがあるように思えます。しかし、組織の構造的な問題や業務プロセスの改善などに取り組む場合は後者の成長が必要になるでしょう。
実績のある手法を身につける基本はOJT(On the Job Training)になるでしょう。漫然と業務をこなしていても既に確立した考え方や手順を身につけるのは比較的容易なものです(もちろんモノによりますが)。
一方で新しい手法を身につけるには情報収集能力や仮説検証能力が必要になりますし、それを他者に共有して理解してもらう能力が必要になります。能力に加えて高いモチベーションも必要になるでしょう。
生活のために働いている我々はそんな事しないのです。
故に、組織や業務プロセスの改善のために当事者の成長に期待するのは誤りと言えるでしょう。
他人の行動は想定するべき
ならば人の動き方を変えようと思ったらどうすべきなのでしょうか。
基本的な考え方は当事者の自律的な改善には期待せず、あるべき姿をきちんと示し、実践する様を見せ、少しずつ浸透させていくことだと思います。その際、こちらのインプットに対してどの程度の理解を示し、その上でどのように振る舞うのか。それをわきまえた上で行動することが重要でしょう。
使い古されつくしたものですがこんな言葉もあります。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
(山本五十六)
おそらく素直な解釈ではないのでしょうが、勝手に人は実らないということでしょうね。
強く共感できます。
おわりに
自主的な組織の改善に期待して滑る様を最近目撃いたしましてね。それに対する愚痴ですよ、ええ。もちろん優秀でモチベーションの高いサラリーマン集団も世の中には存在するのでしょうけれど、自分の所属組織はそうならなかった、だからこの話はここでおしまいなのです。
自分自身に加えてその周囲の身の程を適切に見極め、わきまえた上で行動すると言った考え方、大事なんじゃないですかね、と思うなどしましたとさ。おしまい。
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